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樹齢350年を超える箱根旧街道杉並木の杉でサーフボードのフィンを作るプロジェクト

2022.09.08

箱根 X 湘南 = それは素敵な人たちとの出会い

箱根

こんにちは。湘南箱根プロモーションズを運営する株式会社タケオ代表の鈴木です。
私は箱根仙石原で生まれ育ち、現在、湘南・茅ヶ崎で暮らしております。
幼少期から、日本を代表する観光地のど真ん中で過ごしてきました。
当時、私の家は、箱根仙石原で米信ストアーという酒屋兼、鮮魚や野菜を扱う今で言うスーパーマーケットの様な店舗を営んでいました。
家の近隣には、箱根後楽園さんやゴルフ場といった観光施設をはじめ、当時の日本経済を牽引する大企業の保養所でごったがえしていました。
また、当時国際的にも名高いホテルとして、箱根観光ホテルさんも同じく目の前にあり、外国の方々がいつも普通に家に買い物にいらっしゃいました。
そして、名だたるスポーツ選手や芸能人のお別荘も当然存在し、毎日の様にテレビでみたこともある人たちに可愛がられ、コミュニケーションしていました。
店の前で読売巨人軍の長嶋茂雄さんのご子息、一茂さんとキャッチボールしてもらった事は今も忘れえぬ想い出です。
この様に、箱根と言えど私の暮らした仙石原の一部地域の独特な環境の中で過ごしてこれた事は今となっては大変貴重な体験であったと感じます。

湘南・茅ヶ崎

時は経ち、約20年前から茅ヶ崎に移住し、現在に至ります。
私が何故、茅ヶ崎を拠点にしたのかは、遡る事約25年程前に茅ヶ崎を代表するファッションブランドであるスポーティフの社長、岩倉瑞江さんとの出会いでした。
当時、私は生命保険会社でサラリーマンとして働いていました。
子供の頃から、絵を描く事や写真が好きだった私は当時パソコンが普及し始め、イラストレーターやフォトショップといったデザインツールが出始めた時代でして、独学でそれらを学び、やがてインターネット時代からホームページの流れとなったことから、WEBサイトデザインの勉強を行なっていました。
若気の至りもあり、会社辞めてあわよくばこれで生きる!みたいな気になっておりました。
その様な中、当時湘南地域のフリーペーパーを発行していた、平塚のとある企業さんにまずは転職しようと思い、面接に向かいました。

そこで出会った奇跡的な事。
面接の日、会議室に通された私は厳粛に姿勢を正しておりました。
その時、お茶を持ってきてくれた女性。
「あれ?タケちゃん?」
「あれ?チーちゃん?」
なんと、箱根仙石原で幼少期から、保育園、小学校、中学校を共にしたチーちゃんでした。
「どーしたの?◯◯生命にいるんじゃないの?」
「いや、自分でいろいろやってみたくてさ」
等々の会話がありまして、懐かしさとこれからの自分の人生と、もぉーMIX状態になってしまいました。
その後、その会社の社長さんと面談させていただいたのですが、結局不採用でした。
なんでー!?
なのですが、後日、このチーちゃんから連絡ありまして、
「ねぇ、茅ヶ崎のスポーティフって知ってる?」
ときました。
「聞いた事はあるけど。。」
「岩倉さんって方が社長なんだけど、今ちょうどWEBサイト立ち上げたいって言ってるから、タケちゃんのこと紹介しといたよ!」
チーちゃんは、自分の会社のお付き合いがあるスポーティフの岩倉さんに僕の事をアピールしてくれていたのです。

数日後、岩倉さんから連絡あり。
「一回ウチにおいでよ!」
それだけ。
何とまぁ、爽やかで気さくな方なんだろう。
「分かりました。」


(画像参照元:SPORTIFF YouTube

そして、茅ヶ崎の一中通りにある岩倉さんのご自宅へ向かいました。
「あらー、いらっしゃい!」
何とまぁ、素敵な女性。この時の笑顔は今でも忘れられない。
「さぁ、入って、入って」
ドアを開けるも、え?土足?土足のままでいいの?
うわぁー、かっこいい!
やがてピアノがある広いリビングで、岩倉さんとの出会いは始まるのでした。

「デザインとかやってんだ?」
「そうなんです。」
「WEBサイト作ってよ!」
「わ、分かりました。」
「じゃ、飲みに行こう!」
「え?」

商談というか、何と言うか、これだけ。
そして、近所の焼き鳥屋さんに連れて行ってもらい、

「サーフィンやってんだ?」
「はい。」
「りさこ知ってる?」
「りさこさん?三浦りさこさん?カズさんの奥さん?」
「そうそう!うちのモデルしてもらってるの。だから何かあったら彼女の事も手伝ってね!」

何かすごい事になってきてる?

その後、スポーティフさんのWEBサイト立ち上げ、通販システム開発、そしてりさこさんのWEBサイトも手掛けさせていただきました。

その様な流れで、毎日の様に茅ヶ崎の岩倉さんの自宅にお邪魔してはご飯を食べさせていただき、多くのびっくりする様な方々と繋いでいただき、何と言うかとっても幸せな、とっても不思議な、とっても焦る、とっても夢の様な時期を過ごさせていただきました。

何故か、岩倉さんに惹きつけられ、当時私は湯河原に住んでいたのですが、丁度結婚するタイミングもあり、これまたご縁があって、岩倉さんの近くに住居を構え、今に至るのであります。
岩倉さんの近くにいたかったのかなぁ。

想い出たっぷりの、岩倉さんとのエピソードは、また別の機会にご紹介させていただきます。

箱根と湘南の素晴らしさを掛け合わせたい

地形的、歴史的にも遥か昔から関係性の深いこの二つの地域の素晴らしさを表現したいと考えています。

地域的には、箱根の山々から流れる栄養分を含んだ川が小田原に流れ込み、潮の流れと共に湘南の海に存在する魚たちを育み、海を豊かにしています。

歴史的には、鎌倉時代、江戸時代から日本の歴史史上欠かすことのできない数々のドラマを生み出した地域として、現代に至るまでその文化を築き上げてきた土台となっている関係性のある地域です。

その様な素晴らしきバックストーリーを持つ、箱根と湘南地域の持つ素晴らしさを掛け合わせた形で世の中に知ってもらえる、今までにない発想でクリエイティブした商品、それに携わる人々を多くの人に知っていただきたい活動を進めています。

遠藤ユウイチさんとの出会い

樹齢350年を超える箱根旧街道杉並木の杉を再生利用した、サーフボードのフィンをどうやって作る?
 
知り合いをあれこれ通じ、サーフボードの原型である、サーフィンの起点であるハワイの人々がその昔に木材で作ったアライアというサーフボードの原型モデルを現代に復活し広めていらっしゃる、湘南を代表するギアーズサーフの遠藤ユウイチさんに出会う事ができました。
 
遠藤さんにお会いする機会を得て、このプロジェクトを伝えると、
「ok! 何か楽しそうだね!やってみようよ!」
はぁ、何とまぁ、素早いご対応と私の心の内を読み取っていただいた事か。
サーファー、これだよね!
嬉しい限りです。
 
そして、只今まで杉という柔らかい材木をあれこれテストしてきましたが、やはり実際にサーフボードのフィンとして使用する事は難しいという結論になり、置物としてこの350年を超える箱根旧街道杉並木の杉を、サーフボードのフィンとすることだけでも意味があるとの結論に達しました。
(実際にサーフボードに固定して波に乗るとテンションに耐えきれず折れてしまうのです)
現在、遠藤さんをはじめ、箱根・小田原地域の木工職人さん達のご協力を得ながら進めています。
(最終仕上げや台座については箱根・小田原地域の木工職人さん達にご協力いただいております)
 
完成まであともう少しです。
 
続報お楽しみに!